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7月10日、第9回「帯にまつわる話」のエッセイ入選発表と表彰式を叶シ陣まいづる4Fにて執り行いました。式には入賞なさいました小澤恵様・仲村留香様・小林美智子様・浅岡亜紀子様、ご家族ご親友の皆様にご列席いただきました。業界各新聞・雑誌社の皆様と共に、和やかな表彰式となりました。 表彰式では、賞状並びに副賞の謹製『西陣まいづる袋帯』『西陣まいづる特製螺鈿帯留』が授与されました。 式の後は、入賞者の皆様を中心に大撮影会。西陣まいづる自慢の特大手織りタペストリーをバックに、入賞者の皆さん、ご家族の皆さん、フラッシュの嵐に答えてキラキラのトップスターになりました。次に席を移して審査委員長河田先生(色彩研究家)や記者の皆様との懇談会へと続きました。エッセイの裏話や帯への思い、入賞の心境などをお話しいただきました。「偶然ですが、今日は母の命日なんです。」と驚きの一言からお話になった小澤様。お母様が最後に締められた帯をひろげながら、「きっと無き母が私をこの場へ連れて来てくれたのだと思います」と、自然に声も詰まります。でも、本来ポジティブな小澤様、すぐにお写真を見ながら朗らかな笑い声。脇で貰い泣きの仲村様も気を取り戻して、ご自慢の紫の帯をご披露!「箏の帯は本当に珍しいですね」の声に益々お気に入りの一本になりそうです。遠く北海道からご家族でご出席いただいた小林様は「いろんな方の思いのこもった丸帯を切り刻んでしまった話など入賞するとは思いませんでした。」とちょっと控えめです。お寺へご奉納される方もいらっしゃるし、何より毎日ご先祖様と一緒に思い出してもらえるんですから幸せな丸帯です。善い事をなさいました。等々、励ましの言葉にほっと安心です。小学生のわんぱく盛りのお孫さん達が小林様の晴れ姿に席を立っての大きな拍手。その姿に小林様の心がしっかり伝えられているのが見えました。皆さんのお話を頷きながら熱心に聴かれていた浅岡様。ちょっとはにかみながら風呂敷から取り出されたのはお母様に選んでいただいたという露芝の帯。楽しそうに大切に話される帯への思いは‘本物’ですね〜!もっともっと楽しんで下さ〜い。 その後は手機工房をご見学いただきました。機の巧妙に圧倒され、質問とフラッシュが飛び交いました。ショールームではお土産に西陣まいづるオリジナルの帯〆を選んでいただきました。副賞の帯や帯留に合わせたり、色を語ったり、知らずにテンションが上ってお話が広がります。仲村様のご主人も専属カメラマンとなって、レンズから目が離せません。お気に入りの帯の前では記念写真を撮り、紋意匠のお話を聞き、帯結びのお話に至っては自然に背中に手を回していました。どなたも古くからのお友達の様に帯談義に花をさかせているうちに、すっかり夕方となり、お話は尽きぬまま散会となりました。
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〈講評〉
第九回「帯にまつわる話」エッセイ選考会を終えて
第九回を迎えました「帯にまつわる話」のエッセイ公募。皆様に支えられ、今年も老若男女、国内、海外から、106点という多数のご応募をいただきました。いずれも甲乙つけがたい秀作でしたが、厳正な選考で10点を選定致しました。
結果、大賞には小澤恵様の「最後の晴れ姿」が選ばれました。静かに淡々と綴られた作品の中から母親の娘への愛情がしっとりと伝わって来ます。安堵と切なさが一本の帯に見え隠れし、穏やかな写真により深い愛情を感じます。一方、優秀賞の仲村留香様の作品「名手の帯」には、脈動感があり、新しい時代に溶け込んだ帯との出会いが生き生きと綴られています。帯という素晴らしいパートナーを得た時、さらに前向きな仲村様がとても輝いて見えます。今回思いがけず、最年長の小林美智子様と最年少の津曲陽子様の作品が並んで入賞されました。受け継がれてきた文化を帯に託し、明日へ繋ごうとするお二人に時代の差は無いようです。母と娘・姑と嫁・祖母と孫娘、一生懸命の隙間に少々の時代の軋轢があっても、帯一本で繋がりあえる。そんなことが実感できる作品の数々でした。
年長者は常使いの帯を楽しむ‘スローオビライフ’、若い世代はネットやシャメールで楽しむ‘ニューオビライフ’媒体や楽しみ方は自然に新しい時代になっているのですが、帯で繋がる心は変わりないことを確信しました。
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| ★ 入賞者発表 |
| 大 賞 | 「最後の晴れ姿」 | 小澤 恵 さん | 島根県松江市 |
| 優秀賞 | 「名手の帯」 | 仲村 留香 さん | 東京都 |
| 特 選 | 「帯合わせのひととき」 | 浅岡 亜紀子 さん | 茨城県ひたちなか市 |
| 特 選 | 「愛で結ぶ帯」 | 小西 保明 さん | 秋田県横手市 |
| 特 選 | 「百年前の丸帯」 | 小林 美智子 さん | 札幌市 |
| 特 選 | 「帯よ」 | 津曲 陽子 さん | 東京都 |
| 特 選 | 「ぴったり」 | 長野 正美 さん | 埼玉県越谷市 |
| 特 選 | 「母の帯」 | 花村 悦子 さん | 福岡市 |
| 特 選 | 「恥ずかしさ半分、うれしさ半分」 | 細江 美幸 さん | 岐阜県 |
| 特 選 | 「40年ぶりに舞う蝶々」 | 森谷 美雅子 さん | 茨城県つくば市 |
| 五十音順 |
| ★ 大 賞 |
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受賞式に寄せて
この度は、このような立派な賞をいただき、ありがとうございます。とても嬉しいです。思いがけず京都に行くこともでき、旅行好きの母がうらやましがるだろうなと思っています。エッセイを書きながら、しみじみと母のことを思い出すことができました。このような機会を与えていただき、深く感謝しています。ありがとうございました。
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最後の晴れ姿
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花嫁仕度を済ませ、両親に晴れ姿を見せようとした時だった。洋装のはずの母が留袖を着て立っている。えっ? しかも私の帯! 「あらバレちゃった。だってこの帯、楽なんだもの。でも派手かしら?」 「よく似合ってるよ。締め方で出る柄も色も変わるもんだね。」 「そうでしょ。よかった。」 ポンと帯を叩きながら、フフッといたずらっこのように笑う母が眩しかった。 その帯は私の成人式の時にしつらえたものだ。もう一目惚れ。母と一緒に「せーの」で指を指す。着物に無知な私と着物が大好きな母。二人とも同じ帯を選んだのがおかしかった。松、菊、梅、鶴…おめでたい柄がびっしりと敷き詰められ、艶やかな金糸や色糸で刺繍されている。色づかいも華やかさも、今まで見てきた中でとびきりのもの。光の加減で七色に光る美しさはもちろん、柔らかく締めやすいのも魅力だった。成人式から友人・親戚の結婚式、パーティ…。いつもこの帯が側にいた。自分の部屋の箪笥に大切にしまっていたのに、母はいつの間に出したのだろう。不思議でならなかった。 2年間入退院を繰り返していた母は、結婚式に合わせて退院してきた。これが最後の退院となることは暗黙の了解だった。結婚式の主役は花嫁の私ではなく、明らかに母だった。 「本日はおめでとうございます。あら〜お母さまの帯、素敵ですね。」 「娘が成人式の時に締めた帯なんです。締め方で柄の出方が変わるから、私でも似合うでしょ。」 さも自分の言葉のように話す母。確かに帯は母ならではの着こなしで、輝きを増していた。 「洋装だと痩せているのがわかってイヤだから、やっぱり着物にするって。あんたの帯をしめたいと言ってね。」 後日、伯母が教えてくれた。結婚式から2ヶ月後、母は旅立った。遺影は結婚式の時のもの。あの帯を締め、穏やかに微笑んでいる。いい写真だ。そして私は時折、帯を取り出しては、屈託のない笑顔で、誇らし気に帯を語る母を思い出している。
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| ★ 優 秀 賞 |
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受賞式に寄せて
このたびはこのような素晴らしい賞を頂きまして驚きと共に感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございます。美しい着物や帯を見ていると、四季を愛でる心や、草花や生き物を尊ぶ心に触れ、気持ちが潤ってとても元気が出てきます。街でも素敵に着物を着こなしている方を見かけると、思わず見とれてしまいます。そんな“着物美人”を目指して、着物好きの仲間と着物DAYなる日をつくって、好きな着物で街へ繰り出そうと只今企画中です。 平成21年7月10日 仲村 留香 |
名手の帯
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| ★ 特 選 |
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祖母や母の着物がとても綺麗だったので、自分でも着てみたいと思い、着付けを習いました。まだまだ下手ですが、ちょっとした外出にもササッと着物で出掛けられるようになるのが目標です。今回の入賞が励みになりました。ありがとうございました。
平成21年7月10日 浅岡 亜紀子 |
帯合わせのひととき
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母より10センチ背の高い私は、母の着物がどれも合わない。そんな私のために、祖母は、母の着物から1枚見繕い、私に合うようにと丈を直してくれた。 クリーム地にピンク、黄、水色の梅の花がふんわり咲いた春らしい袷。私はそれをとても気に入り、お正月はその着物で祖母に会いにいくことにした。 さて、そうと決めたものの、合わせる帯が決まっていない。 私は初心者ながら自分で帯を選ぼうと、母が昔付けていたという帯を箪笥から引っ張り出した。 「着物から一色持ってきて…」と私が選んだのは、発色のよいピンク地に鞠の模様が等間隔に並んだモダンな名古屋帯。早速お太鼓に結んでみたものの、三十過ぎの私にはちょっとピンクがまぶしすぎ…!? そう考え込んでいるところへ母がひょっこり顔を出し、畳に並んだ帯を見て懐かしくなったのか、一緒に帯選びを始めた。 「これ、合わせてみたら?」と母が差し出したのは、朱色地に金糸銀糸で草木の模様が織られた名古屋帯。上品で大人な雰囲気である。 「この帯が合うの?」と、ピンとこないまま帯を付け替えてみた。 鏡の前に立った私は、着物は同じなのに先程とはガラリと印象が違うことに驚き、そして、着物のやわらかい雰囲気を帯の朱色が引き締めて、全体が上手くまとまっていることに更に驚いた。 「ほら、やっぱりいいわ」と満足げな母。 それからしばらく、ふたりで帯の大試着会。組み合わせごとに変わる印象にハットしてみたり首を傾げたり、まるで着せ替え人形を楽しむかのように帯合せに夢中になっていた。 私は何だか嬉しくてたまらなかった。嫁いで以来、母と他愛のない時間を過ごしたのも久々だったが、何より親子としてではなく、女性として同じ楽しみを共有できた気がしたからだ。 娘に生まれて本当によかった。 結局、私は母イチオシの帯で祖母の家に出向いた。 祖母は「あら、間に合って良かったわ」と、自分が直した着物と、懐かしい帯をゆっくりと交互に眺めた。 |
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| ★ 特 選 |
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受賞式に寄せて
茶席に向う妻の着つけを手伝うようになって、帯は着物の付属品ではなく、日本の伝統文化を代表するすぐれた芸術品であると思うようになりました。帯に関するエッセイの応募があると知った時、この思いがすぐ頭に浮かんできたのです。でも初めての応募でしたので、受賞するとは思ってもみませんでした。お知らせをいただいた時には驚きと共に喜びいっぱいでした。ありがとうございました。
小西 保明 |
愛で結ぶ帯
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「おとうさーん、おねがーい」 二階から妻の大きな声がする。 「わかったー、すぐ行くから」 用向きは聞かなくてもわかっている。今日もどこかの茶会に出かけるらしい。帯を締めるのに手を貸して欲しいと言うのだ。私は読んでいた新聞から目を離して立ち上がった。 妻にとって茶道は生活の一部なのだ。茶道に携わっているから還暦を過ぎても生き生きと日々を送っていられるのかもしれない。茶会に出かける朝になると私にも出番が回ってくる。おかげでいつのまにか私も帯に興味を持つようになった。 帯について語る妻の言葉にはなかなか意味の深いものがある。初めの頃は、 「左右のバランスをとってね」とか、 「もう少しきつく」 等々、姿、形など外見を整えるための注文が多かったのだが、それはどうにか合格点にたっしたのか、近頃では注文も内容も深くなってきた。 「帯の締め方でその日一日が楽しかったり苦しかったりするのよ」 と脅(おどか)すようなことを言ったかと思うと、 「良い帯は鳴くのよ」 と私には理解に苦しむようなことを話す。 「泣くって?帯が痛いとでも言うのか」 「それとはちょっと違うの、キューと締まる時の音や、体に伝わる微妙な感覚で、ああこれは良い帯だなとか。気持ち良く結ばれている、今日の茶会はきっとうまくいくわ、と思ったりするのよ」 そう言われると帯が着物を結ぶ単なる道具ではなかったことを知る。 |
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| ★ 特 選 |
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受賞式に寄せて 思いがけない入賞の通知を頂きまして大変嬉しく感謝して居ります。公募を知ったのが〆切の十日程前、大急ぎで書いて推敲も充分に出来ないままの投稿でしたので、正直のところ入賞するとは考えても居りませんでした。この丸帯には百年も前の意匠の人や織り手の方々の丹精がこもっていたと思います。それを小さく切り刻んでしまったことに、申し訳なさを感じておりました。この度、この作品が入賞したことで、古い帯も、許して下さったのじゃないかと、ほっとして居ります。ありがとうございました。 平成21年7月10日 小林美智子
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百年前の丸帯
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義父も義兄も亡くなり、住む人のいなくなった亡夫の生家を取りこわすことになった。 米穀店をしていた義父が大正の初め頃に建てたこの家で男三人女三人の兄妹が育ったが、今は女が三人しか残っていない。 母屋の裏に納屋があり、古い家具などが並んでいる。黒塗りの鉄の金具つきのタンスがある。祖母の嫁入りの時のものだという。 開けてみると几帳面な義父らしく、毎年の年賀状や古い手紙が束になって入っている。子供達の絵や成績表もあって、夫が生きていたら懐かしがっただろうと残念だった。 一番下の抽出から黄色い布に包まれた帯が出て来た。長年しまいこまれていたらしく、カビ臭いが金銀の色も鮮やかな丸帯だった。 空を流れる瑞雲に鳳凰が舞い、白銀の甍を輝かせた楼閣の回りには山水の庭園があり、四季の草花が色とりどりに咲き乱れている。その鳳凰は一段ごとに金糸と緑色の二色に織り分けてある。帯幅は今の袋帯の倍はあって、昔の童謡にも歌われている『金襴緞子』の見事な丸帯なのである。 義妹の記憶では祖母の嫁入りの時のもので母親もなんどか締めていたという。 祖母クネは慶応元年の生まれだから、この帯は百年以上も昔のものらしい。折り目がすり切れていて残念だが帯としては締めれない。 「勿体ないけど、切って佛壇の打敷を作って兄妹や親戚に配ったらどうかしら」 私の思いつきに皆が賛成してくれて若い姪が縫製を引き受けてくれた。百年前の祖母の丸帯は形をかえて兄妹達の家に届けられた。 夫の仏壇に打敷をおいて手を合わせていると夫の家の歴史が甦ってくるようだ。 丸帯の金銀が燈明に眩しく輝いている。 |
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| ★ 特 選 |
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受賞式に寄せて 思わぬ受賞の報せに驚きやらうれしさやらで正直困惑しているところです。そして表彰式に出席できないことをたいへん残念に思います。着物を着る機会があまりない現代だからこそ、着るときはきちんと着たい。いつもそう思っております。帯はその着物を彩るポイントであると同時に「着物の顔」だと思っています。その思いがエッセイを生み、思わぬ受賞をいただきました。これからも着物と帯を大切にしたい。そんな思いを今強く抱いております。本当にありがとうございました。
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恥ずかしさ半分、うれしさ半分
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少女は曾祖母が嫌いだった。健康で達者なのは申し分ないのだが、あれこれと口を出すのがたまらないからだ。やれその派手な服はなんだとか、やれ女性はもっと淑やかにだとか、そんな娼婦みたいな格好はなんだとか、時代遅れなことばかり言う。 「お祖母ちゃんの時代はそうだったかもしれないけれど、いまは違うの。これが流行っているの。だから口を出さないで。」 言った直後は「へえ、そんなものなのかい。いまどきの若い者は」と感心するが、しばらくすると忘れてしまって、また同じ口出しをするからほとほと呆れてしまう自分がいた。ときに鬱陶しく感じられる曾祖母の存在は、少女をいらいらさせる理由の一つでもあった。 成人式が近づいてきた。振り袖を母親が用意してくれたものの、肝心の着物の着方がわからない。特に帯の締め方が。困った少女に母親から助け船が出た。 「ひいばあちゃんだったらできるかも。昔から着物を着ている人だから。」 それだけは勘弁して欲しいと少女は言った。が、他にあてがない。 仕方なく少女は母親を通して曾祖母に着物の着付けを頼んだ。 「わかった。けれどその代わり、私のやり方にけちをつけないようにあの子に言ってやっておくれ。」 曾祖母はそう言った。少女は納得できなかったが、妥協して条件を飲んだ。せっかくの振り袖を着られず、出席できない成人式よりは、妥協してでも振り袖を着て式に出たかった。ただそれだけの理由だったが。 成人式当日。曾祖母の手を借りて着た少女の着物は周囲から絶賛された。同時にその巧みな帯の締め方も。 「だれがやってくれたの。この締め方」と問われると、少女は恥ずかしさ半分、うれしさ半分の表情で「ひいばあちゃんがやってくれた」と答えた。少女はもちろん私である。 |
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| ★ 特 選 |
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受賞式に寄せて この度は思いがけない賞を頂き、ありがとうございます。 留学中に着物を着る機会が多々あり、その度に自分が日本人であるという意識をもたされました。又、他の国々からの友人は、「日本人である私は着物をちゃんと綺麗に着れるはずだ」と思っているために「着る時に戸惑ってはいけない」という責任感のようなものさえ感じていました。これからも機会があれば着物を着て、「帯も言う事を聞いてくれるような」大人の日本人になりたいです。 平成21年7月10日 津曲 陽子 |
『帯よ。』
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帯よ。 どうしてゆるんでしまうんだ? きつめに結んだのに。 なぜなんだ? 20回くらい練習したのに、まだ緩む気なのか? おばあちゃんやお母さんに結んでもらう時には ずっときつく保っているのに。 なぜ私には従ってくれないのか? 私の経験がないから? でも努力は認めて欲しい。 これからは私一人で締めないといけないんだから。 もうおばあちゃんの助けもお母さんの助けも借りれないんだから。 親元を離れて、海外で初めて自分自身の力で帯を結ぶ。 ちょっぴりえらくなった気分がする。 誰も帯が結ばれる様子なんて見たことがない。 みんな驚いたように私の帯さばきを観賞している。 すこしばかり帯も緊張しているようだ。 私はそんな帯を勇気づけるようにしっかりと結ぶ。 絶対にゆるむなよ。 日本人としての誇りがあるんだから。 帯としての誇りも忘れるな。 完成した帯はきっちり結ばれたように思われる。 私は日本人になった。 ちょっと気取って歩いてみる。 まるで芸者にでもなったかのような感じだ。 しかし、少し経つと帯が私から離れていく感じがした。 ちょっと不安になった。 帯よ。 なぜ緩む? 帯としての誇りはどこだ? 今私はただの十八歳の子供じゃない。 今の私は一日本人なのだ。 帯を結んでもらう時のあの引き締まった感触。 その感じはなぜだか私に安心感を与える。 日本人としての経験を長年積んだおばあちゃんやお母さんの手は 魔法のように帯を操る。 帯はとっても従順だ。 私は未だにあの感触をつかんだことはない。 帯はまだ私を一人前の日本人として認めてくれないのだ。 でもいつか必ず、帯がきつく締まる日が来る。 その時私は立派な日本人になるのだ。 でも、帯よ。 あんまり急がないでくれ。 その日はまだ来てほしくない。 私がお母さんになったら、子どもの帯を結び、 そしておばあちゃんになったら、孫の帯を結ぶのだ。 その日が来るまでは まだ子供でいよう。 帯よ。 緩んでくれ。 |
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| ★特 選 |
![]() 娘たち |
受賞式に寄せて
私の母と祖母はいわゆる仲の悪い嫁姑で、私は子供のころからそれを悩んでいました。今回のエッセイはその二人がくれた帯と帯〆がぴったりだったということを書いたものですが、私の悩みもこれで少しはむくわれました。賞に選んでくださった皆様に感謝いたします。ありがとうございました。私のこれからの目標は、着付教室をがんばって続けて、まずは自分がちゃんと着物を着れるようになる事。そして、10歳と5歳の娘が成人式を迎えるときに、わたしが着付をしてあげる事です。帯には七変化する不思議な魅力がありますね。娘のお祝いをどんな帯結びにしょうか、今からワクワクしています。
長野 正美
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ぴったり
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「ねぇ。お母さん、着物って持ってる?」 「なんだい。いきなり。」 「私、着付け教室通うことにしたんだ。でも私が持ってるのって成人式の振袖だけだからさ。習うなら普通のが必要みたい。」 日本人に生まれたのに着物が着れないのは、なんだかもったいない気持ちになり、私は四〇歳を過ぎて遅いかもしれないが着物にめざめた。実家の母は、急に訪ねてきてそう言い出した私にとまどいながらタンスの奥をゴソゴソ。 「あった。あった。」 母の着物姿は私の七五三以来見たことなかったから、正直着物を持ってるとは予想していなかったのに出るわ出るわ、白や青や桃色の着物が、玉手箱からワンサカ出てきたようだ。 「帯はこれが使いやすいよ。」 青紫の地に上品な桃色の花が一輪、キラキラ輝く糸で織りこまれたその帯は私のハートをキュッとつかんだ。 「あれ、しまった。帯〆がどっかいっちまったよ。あんた成人式の帯〆使えば?」 「え―っ!朱色のラメ入りの帯〆だよ!そんなのあわせたら帯が泣くよ。」 そんな会話を隣りの部屋で聞いていた九十一歳になる私の祖母がニコニコしながら私に言った。 「これ、使って。」 祖母が手渡してくれたのはさわやかな水色の帯〆だった。大正生まれ の祖母が大事にしてきたものだ。 「わ〜〜。レトロなかんじ。」 「そりゃそうさ。戦争をくぐりぬけてきた帯〆だからね。年代ものさ。」 その帯〆を母からもらった青紫の帯にあわせてみる。 「おお〜っ!ぴったり。お母さんとおばあちゃん、嫁、姑で仲悪いのに奇遇だね!」 大きな声で私がそう言うと 「うるさいねえ。」 これまた息ぴったりに母と祖母がそう言って照れくさそうに笑った。 |
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| ★ 特 選 |
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受賞式に寄せて
この度は入賞させて頂き、本当にありがとうございました。嬉しくて嬉しくてたまりません。母が他界してもう随分と月日が経ち、帯も色褪せ、痛んでいますが、私にとっては宝物です。プラチナ、手描、螺鈿織など、高級な帯は多々持っているのにやはりこの帯が一番。馴染んでぴったり着物に寄り添います。因りに母は2歳半から育ててくれた母でした。表彰式に所用で出席出来ないのはとても残念です。本当にありがとうございました。 平成21年7月10日 花村 悦子
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母の帯
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ここに一本の帯がある。亡母の帯だ。 茶と浅黄色の二色だけを使った、ごくごく単純な市松模様型の織の帯だ。もう色も褪(あ)せ、両端は所々擦り切れている。お世辞にも上等の帯とは言い難い。何せ、大正、昭和、平成と生き延びてきた帯だ。だが、私にとって捨てる事が出来ない帯である。どんなに古くても、ぼろぼろになろうとも。 母の四九日が過ぎた頃、姉と形見分けをした折、この帯が目に入った。他に立派な帯も多々あったのに、上等ではないこの帯が目に入ったのか。 戦後の事だ。私の家は、“乾物屋”を営んでいた。両隣は魚屋さん、果物屋さん、その隣は夏はかき氷屋で冬は焼き芋屋、又その隣は駄菓子や、靴屋、金物屋、写真屋と同じ職種が重なる店は一軒もなく、びっしりと商店が軒を並べていた。元旦以外は休む店などなく、あの当時は、皆働いて/\生きていくのが一生懸命だったのだ。母もよく働いて外出する日は、一年に二、三回だった。たぶんお寺さんにお参りする日だったと思う。幼い私の手を引いた母は必ず着物で、必ずこの帯を締めていた。織りなので一年中締める事が出来たのだろう。 私は三十歳を過ぎてから小料理屋を開いた。一年中を着物で通している。割烹着を付けるので、帯が少々痛んでいても気にかけない。 ある日、余りにも母の帯が古くなったので、解(ほど)いて店のコースタにと思い起ち、“手”の所から解きだした。するとその中から、亡父の名刺が出て来たのだ。その時、母の心を見た。記憶の中の両親は、ちっとも仲が良かったとは思えないのだが――。 名刺のみ取り出し、再び縫い綴じた。 そして、今日もまたその帯を締めて私は店に出る。母にとって特別の思いがあったのであろう帯を――。 |
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| ★ 特 別 賞 |
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受賞式に寄せて
今回は賞をいただき大変嬉しく思っております。両方の母に話すととても喜んでもらえました。着物に親しむようになったのもお茶の稽古を始めたからこそ。茶道をすすめてくれた母には感謝しています。これからも着物が似合う女性を目指していきたいと思っております。本当にありがとうございました。 平成21年7月10日 森谷 美雅子
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四〇年ぶりに舞う蝶々
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「みかこちゃん、お着物よく着るんでしょう?」 お正月に主人の実家に帰省した時に義母からこう聞かれました。茶道を習っている私は毎週のお稽古を着物で通っているので、そう答えると義母は嬉しそうにたとう紙が何枚も入っている引き出しを持ってきました。 「お嫁に来るときに持ってきたものなんだけど、着てくれる?」 と言って、次々にたとう紙を開いて見せてくれました。 結婚2年目とあって、主人の実家というとまだ少し緊張する私でしたが、義母が思い出話とともに広げてくれる着物を見るうちに、ついつい膝は前にでて話も弾みました。義父にも「持って帰ってたくさん着なさい」と背中を押され、ありがたく頂いて帰りました。 そして、お初釜の日。義母が成人式に結んだという帯を、晴れの日に私も結ぶことにしました。金色の地に蝶が舞う、華やかでどっしりとした袋帯です。合わせた着物は、私がお嫁入りの際に両親が作ってくれた紺のぼかしに花模様の訪問着。双方の両親からの気持ちがいっぱいに詰まった晴れ着で、私自身着ていてとても誇らしく思いました。2年前に作った着物に、四〇年前の帯が不思議にしっくりとなじみます。 母に手伝ってもらいながらいつもよりも丁寧に着付け、ポーズをあれこれと悩みながら撮った写真を義母に後日みせると、とても喜んでもらえました。 「娘がいないからもう着る人もいないと思っていたのに、着てもらえてよかった」と。それ以来、いただいた着物をお稽古などで着るたびに、撮った写真を携帯で送っています。すると義母からまたメールで返事が返ってきて・・というやりとりが増えました。今では私が一人で泊まりに行くほどです。 これからも義母と私の思い出のつまったこの帯を大切にして、よそゆきとしてずっと結んでいこうと思います。 |
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| 第一回 | 第二回 | 第三回 | 第四回 | 第五回 | 第六回 | ||||||
| 第七回 | 第八回 |
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