第一回「帯にまつわる思い出話」エッセイを大募集致しましたところ、全国の皆様より感動のエッセイの数々を応募していただき誠にありがとうございました。選考委員会にて厳正に審査させていただき、応募総数151点より下記の作品10点を入選とさせていただきました。いずれも甲乙つけがたい作品ばかりで、「帯」の取り持つ縁が人々との絆を深め、「帯」に込められた思いが人々の心をいかに豊かにしているかを「帯」を通じて綴られた感動の作品の数々です。



 7月27日、第一回「帯にまつわる思い出話」エッセイ発表会と表彰式を京都、西陣の地元、西陣織会館にてとり行いました。式には最優秀賞に輝いた小池さんや優秀賞の北村みゆきさん、報道陣、エッセイー関係者が多数集まりました。表彰式では、表彰状並びに副賞の「西陣まいづる帯」が授与され、受賞者は感激なさっていました。
次回、第二回「帯にまつわる思い出話」エッセイ募集は来年3月末締め切り予定ですので皆様こぞって応募ください。



ご感想・ご意見がございましたらobi@nishijin.netまたは下記の住所宛にお寄せください。
<京都市上京区五辻通大宮西入る 株式会社 西陣まいづる エッセイ係>


 入賞者発表

最優秀賞 「帯結びから小さな縁結びに」 小池雅子さん 千葉県
優秀賞 「音楽がくれた出会い」 北村みゆきさん 神奈川県
優秀賞 「百年ものの帯」 鈴木あつ子さん 神奈川県
佳作 「キテイちゃんの帯」 今井富貴さん 高知県
佳作 「母と帯と」 薄木博夫さん 茨城県
佳作 「帯に教わる親の愛」 岡山香苗さん 東京都
佳作 「綴れの帯」 小松紀子さん 東京都
佳作 「祖母の帯」 鈴木チイ子さん 福島県
佳作 「海を渡った帯」 松田佳都美さん 愛媛県
佳作 「厄除けの桜色の帯」 山口真紀さん 長崎県
          

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 優秀賞


小池雅子さん(58歳)
住所 千葉県
職業 主婦
  「いかが?きっちり締まった?」帯を結びながら、友人の結婚式に参席する娘の着付を手伝っているうち、口元がほころんできた。
「おばあちゃん、苦しくないですか?」
「もう少しお締めしてもよろしいですか?」
「帯は重くないですか?」
近くの老人ホームへ出かけた日のことを思い出したのである。
 着付け教室で、振袖の着付けの練習をしていた時、「お年寄りに振り袖をお着せしたらどうかしら。」と提案があり、猛練習を重ねて実現の運びとなったのは、梅が満開の丁度この時期であった。
 着物一式携えて老人ホームへ意気揚々と出かけたものの、はたしてモデルになっていただけるか不安でいっぱいだった。案の定、最初はどなたも尻ごみされたが、着物をおかけすると、顔が輝き、「私も」、「わしも」と申し出があり、五人の方にお願いした。
 お年寄りの体型を真似て背を丸め、相モデルをしながら、やさしく体に添わせた着付けを工夫し、帯結びは、あーでもない、こうでもないと結んでは解き試行錯誤を繰り返した。
 いよいよ本番である。みなさん、さすがに大先輩で、上手に手を添えたり、手順に合わせて体を動かしてくださるので、着物は楽にお着せすることができた。さて、帯である。前述の会話をしながら様子をうかがい体を締めつけないやさしい結びを心がけた。だらり帯、角出し、やわらか太鼓、半巾帯、と常識にこだわらないで、着る方の身になって帯をお付けした。五人のお嬢さんが完成した。
 お目にかかった時とは別人のような娘さんになられ、背を伸ばし、ほおは赤らみ、目は生気にあふれ、口元に笑みを浮かべて立っておられる姿に、見物の皆さんから思わず、「かわいい。」と称賛の声があがった。
 あれから二年。皆さんお元気だろうか。帯結びから小さな縁をいただき、幸せのお裾分けをいただいた日を思うと元気が沸いてくる。


 優秀賞


北村みゆきさん(34歳)
住所 神奈川県
職業 会社員
 音楽が大好きでコンサートにもよく足を運ぶ私は、その日もコンサートに出掛け、ふと思い立って帰りに銀座に立ち寄りました。そして、何の気なしに覗いた百貨店の呉服売り場で、この帯と出会ったのです。
 やさしいサーモンピンクの地に、横笛が織り出されたその帯を見た途端、何だか音楽が引き寄せてくれた縁のような気がしました。店頭に飾られていたにもかかわらず、誰の手にも渡らずに、もしかしたら私が来るのを待っていたのかも知れない…とさえ考えて、嬉しくなってしまいました。頭の中には手持ちの着物や帯揚、帯〆とのコーディネートが次々と浮かんできます。 「この帯、見せていただけますか?」 と気持ちを押えつつ手にとり、鏡の前で当ててみます。やさしく澄んだ笛の音が聴こえてくるような気さえして、もう即決です――「これ、いただきます」
 やさしげで暖かみのある感じの帯なので、強い地色のやや個性的な柄ゆきの着物には丁度良い柔らげ役となりますし、おとなしい色無地には明るさを添えてくれます。又、古典的な友禅の着物にも、フワッと馴染みます。
 この帯を締めてコンサートに出掛けると、良いカンバセ―ション・ピースとなってくれるようです。面識のない方からも「ステキな帯ですね。本当に音楽がお好きなのね」などと声を掛けられることも多く、会話も弾みます。――音楽が出会わせてくれた帯によって、更に出会いが広がる…帯も「キュッ、キュッ」と喜んでいるようです。



 優秀賞


鈴木あつ子さん(59歳)
住所 神奈川県
職業 主婦
 次男の結婚式が、十二月三日と決まった。一昨年の長男の結婚式は、六月でもあり、お仲人の奥様が洋服との事で、私どももそれに合わせて、洋服という事にした。
 今度は、留袖という話合になり、しきたり通り黒留袖という事になるが、私は、帯をどれにしようかと一寸迷った。留袖に合わせて誂えた、金糸・銀糸を織り出した袋帯が、一応頭にあったが、みんな一様に似たりよったりの帯、一寸変ったものも妙案と、何時か母が、母の母(つまり私の祖母)から譲られた帯を思い出した。今どき珍しい帯だから、あれにしようと思いついた。母に言うと、
 「いい帯だけど、今の流行じゃないわね」と言う。
 「だから、いいのよ。」と私。帖紙から出してみると、まるで新品。紫地、と言っても光線の具合では、玉虫色に光る。金と銀で一面に小菊が織り出してあり、垂れの部分は、金糸・銀糸の刺繍で起こしてある。豪華絢爛、桃山時代の物を見る様である。丸帯であったのを、芯を抜いて袋帯のように軽く仕立て直してあるので、締め易そうである。
 「これに決めた!」と私。
 結婚式の当日、画科の卵の姪が一目見るなり、
 「わあ、素敵な帯!なんていい色!」と感嘆するし、親戚の皆からも「素敵な帯ね」と褒められた。
 「百年ものなのよ。」と言い乍ら、私も満足していた。
 母の実家は筑紫で、祖母の頃のお嫁入りでは、婿方からの結納品には留袖、訪問着、丸帯、宝石等の数々の品が、金一封とともに結納品として、島台とともに、何台もの吊台に積まれて運ばれ、お嫁に行く方からは、箪笥、長持、鏡台、その他のお道具、その中にはぎっしりと着物や帯、履物など、これ又、吊台で運ばれ、親戚や近所の人に披露されたのだそうである。その中の一品が、この帯であった。式に参列した九十才の母は、タキシード姿の孫を眩しそうに眺め乍ら、私の百年ものの帯を「まん更でもないわね」そんな目でみていた。
百年物の帯の百年めの晴れ姿であった。




 佳作


今井富貴さん(33歳)
住所 高知県
職業 主婦
  「キティちゃんの"おび"かうっ。」 我が一人娘が1歳9ヶ月の時に言った言葉です。  私は着物に興味を持ち始めて、ほんの2年の新米です。きっかけは、娘が生まれ、毎日慣れない育児でヘトヘトになりながらも、娘が寝た、少しの自分の時間に雑誌をなんとなく眺めていると、着物を着こなしたモデルが何故かとても優雅に見えたのです。  そうだ、結婚してお茶を始めたことだし、(主人がお茶をしていたのでなんとなく入り込んだ茶道の世界にもう3年目)着物も自分で着られるようにならないと! 着物についての知識が全く無い私は、着物関係の雑誌や本を読むようになり、3ヶ月終了の着付け教室に通って、自力ではまだまだだけど、帯を結ぶ順番だけは何とか覚えることができました。一口に和服といっても帯の種類、色、結び方や、デザインによって印象や雰囲気がこんなに変わるものかと驚き、"帯"の力はやっぱりすごいと帯の魅力に取り付かれました。  昨年の文化の日、お茶の2つ目の免許の当日、主人の義母に着付けを手伝ってもらっている時の事です。娘は不思議そうに私を見てチョロチョロ動き回っていました。義母に帯をギューッと締めてもらう際には、私が可哀そうだと思ったのか半ベソ状態でしがみついてきたので、「これは"おび"といっておなかにしめるのよ。」 と説明してあげました。そして、義母に伊達締を服の上から締めてもらうと嬉しそうに動き回り、私が帯締めを締め終わった頃には 「キティちゃんの"おび"かうっ。」と喜んで走り回っていました。  今、娘は2歳を過ぎたばかりですが、たまに長い布を見付けると自分のお腹に巻き付けては"おび"と言って遊んでいます。娘と帯との関わりは、始まったばかりですがこれからも帯の魅力を楽しんでいって欲しいものです。



 佳作


薄木博夫さん(69歳)
住所 茨城県
職業 無職
 「かあちゃん、この帯持って行って米と換えるの。」
母は黙って頷いた後、呟いた。
「この帯には思い出があって、残して置こうと思ったけど、お前達にご飯も食べさせたいしね、仕方が無いよね。」
 母はそう言って帯を風呂敷に包むと
「博夫、一緒に行っておくれ。」
と、私を誘って家を出た。
 あの太平洋戦争が日本の敗戦で終わった昭和二十年の冬、私が中学二年の冬である。
 戦時中は国が強制的に米の供出をさせていたので、量的にはともかく、米飯に事欠くことはなかった。しかし、戦争が終わると様子が一変した。農民が米の供出を渋り消費者に届く米の量が極端に減った。代替食品として馬鈴薯や小麦、甘藷などが配給になった。加えて猛烈なるインフレが庶民の懐を襲い、お金より物が幅をきかせる時代になった。
 我が家でも、骨董品、貴金属、母の衣裳が当然の様にヤミ米に変わっていった。
何度か訪ねた事がある農家の三和土に母と二人で立った。今日の帯は中学二年の子供の目にもこれまでと違って高価な物に見えた。
どの位の米と換えてくれるかと祈る様な気持ちで手を合わせた。風呂敷から件の帯を取り出して、母はそれを農夫に渡した。
 一瞥した農夫は無表情で、
「二斗だな」
と言うと一升桝で、一回々々丸い棒で余分な米は一粒もやらぬとばかりに見事に均した。その行為には一かけらの情も無かった。
 何時もの帯なら一斗程度にしか見て貰得なかったが、今日はそれなりに評価されたのだが、母親は無念だったのだろう、外に出ると涙を拭きながら、
「悔しいよね。」
と言って寂しく笑った。その母も戦時中の無理が祟って翌年五十三歳の若さで他界した。腹いっぱいにご飯を食べることもなく…。




 佳作


岡山香苗さん(28歳)
住所 東京都
職業 会社員
  私は、北海道生まれの北海道育ちで、1人東京に出てくる時は、心細くて、淋しくて、仕方なかったのを覚えている。父と母もそうだったに違いないと今では思う。  その時、母が送ってくれたダンボールの中に、母の帯が入っていたのは知っていたが、なにせ田舎の人である。こっちで買えばいいよ、と言いたくなる物まで入っていたので、その時はあまり気にしてなかった。  しかし、月日は流れ、東京で1人で暮らす私も、人の前に出なければならない事が多くなっていった。私は、いつも自分自身がTPOに合った服装をしているか気になっていた。その度、母がそばにいてくれて、色々と教えてくれたならどんなに良いかと思っていた。そんな折、母の帯を思い出し、帯に合わせて高価ではないが着物を作ってみようと思った。  帯を持って呉服屋さんへ行くと、今では、こういった帯は、なかなかないと言って誉めて下さった。私は、うれしくなり、自信を持って、その帯をしめて集まりへ出掛けた。  すると、見しらぬ方までが、声をかけて下さり、帯を誉めて下さった。私はまるで、自分の母を誉められている様にうれしかった。  10年前、母がくれた帯は、今でも事ある事に私と一緒にいてくれる、私の強い味方だ。  母がお嫁入りの時、母の母が持たせてくれたという帯を、私が母から離れる時持たせてくれたのだ。あの時の私には、わからなかった。165?の私と、150?の母が唯一、共通で身につけられる物だったに違いない。改めて母の愛を感じる。  私は、まだ嫁に行く予定はない。が、その時は、この帯も、もちろん一緒につれて行きたい、と、そう思っている。



 佳作


小松紀子さん(40歳)
住所 東京都
職業 
  私の宝物は、結婚する時母が用意してくれた鳳凰の柄の白い綴れの帯だ。綴れは一本一本が手作りで全く同じ物はないそうだ。畳紙を開けると二羽の鳳凰が舞う姿が眼に入り、これを織った人の心や一生懸命さも伝えてくれるようだ。
 二十四歳で恋愛結婚した私。お金がかかるだけだから、と親戚を招く披露宴も行なわず、「今まで育てて頂いて、ありがとうございました」の挨拶も恥ずかしくて、せず仕舞いだった。親を寂しがらせたそんな娘に、美しい着物や帯を惜し気もなく誂え調えてくれた両親の慈愛を、しみじみありがたいと思う。
 しかし若く未熟だった私は、「せっかくだけど、それほど着る事はないだろうな…」などと考えながら、あっさりと箪笥に仕舞い込んだのだった。
 三十代になった。家に呼んだ近所の着付け師の方から、「どれも素敵ねえ。あなた着ないともったいないわよ」と、しきりに言われた。あの綴れの帯については、「華やかで気品のあるいい帯ね」とほめて頂き、私はやっとその値打ちに気づかされた。
 遅まきながら、電話で富山の母にその事を告げ、「お母さん、ありがとう。特にあの袋帯は一生締められるね、大切にするわ」と言うと、「うん、うん」と嬉しそうだった。着物や帯を広げて一つずつ説明してくれた昔も、今も、「高かったのよ」という言葉は口にしない母である。
 せめてもの恩返しとして、何とか自分で着られるようになりたくて、ビデオや雑誌を先生に何度も練習した。そして着物がどんどん好きになり、着付けが楽しくなってきた。
 着物を身に纏い、さあ次は帯、という時、「着物姿は帯が大事ながよ。
品のいい帯をきちんと締めとると着物も生きる」という母の口癖を思い出す。ちゃんと結ばなければ……。
 今私は、毎日を安心して暮らせる事と、大好きな着物が着られる幸せに感謝している。




 佳作


鈴木チイ子さん(60歳)
住所 福島県
職業 美容師
  祖母が亡くなった後に、お寺様との約束と遺言で、寄進した中位の柄の茶系の丸帯がある。どんな柄か、はっきりおぼえていないけれど、金が表に出ていない私の好きな作りの物だった。
生前、常に着物の生活で、気に入ったら同じ半襟を2枚購入する様な、おしゃれな明治生れの人で、我が家の火災で、着物もなくしてしまった私は、タンスごと、祖母の残した着物をもらい受けて来た。
 昔の人にしては背丈があり、私と同じ位だった筈なのに、晩年の祖母はやせて小さくなった自分に合わせて、全部仕立ててありそのうえ残り布もなくなっているから、どうにかして直さないと使えない。晩年になる前、昔の寸法の物は、茶格子の紬と、黒地の小紋と、黒に紺のお召の3枚だけが袖に紅絹がついて残してあった。
 帯も紫の博多と、丸帯だったのを名古屋と半巾に直してあった深紫の絽が使える。総じて現代よりも昔の人は地味な物を身につけていたと思う。
 そして思い出されるのが、お寺に寄付した帯の事。私の好きな物だったので、ちょっと、がっかりしたものだけれど、何回目かの回季のおまいりに行った折、お寺様から「すばらしく出来上ったから見てください」と言われ、見せて頂いた祖母の帯は、見事に立派な袈裟となっていた。本当にすばらしい出来で、祖母は、自分の後生を好きな帯にたくして、仏様と共にと意味を込めて、帯を使って頂いたのだと納得した。
 全く別のものに変って生かされる。という事になった帯が、今も読経と祈りの中にあると思うと、祖母の思い出と共に暖かいものが、心にほのぼのとしてくるのです。 




 佳作


松田佳都美さん(26歳)
住所 愛媛県
職業 求職中
  「あなたは帯をどのように使いますか」と尋ねられると、私も含め多くの人は、「着物の上から腰に巻きつけ結ぶために使います。」と答えるだろう。もちろん、帯は着物の美しさを引き立たせるものであるし、着物と一体化することで、帯自体の美しさも倍増することは確かである。
 しかし、そんな私達の固定観念を覆すような帯の使い方をされていた人に、私はアメリカで出会った。その人は、日系アメリカ人三世のケンという方で、和の小物柄を織り込んだ帯地に、縦横の稿と可憐な藤の花をあしらった帯や、金地に源氏絵巻をあしらった帯、利休緞子の文様を取り合わせた帯、風にそよぐ野の草柄の帯といった各々に個性を秘めた四本の帯を、木製フレームのスクリーン部分にはめ込み、玄関とリビングとの間に飾る和風テイストな衝立を作っていらっしゃった。それは、陽の光や月明かりによって、微妙に色合いや趣を変え、とても神秘的で美しい雰囲気を醸し出していた。でもなぜと思う私の疑問を察してか、彼は具にこう説明してくれた。「私の祖母は、御茶箱にこの四本の帯を詰め、ここアメリカに渡ってきました。彼女にとって、帯とは、唯一異国で日本を、そして日本人であるというアイデンティティーさえも感じとることが出来る程大きな存在だったにちがいありません。だからこそ日米戦争のさなかにあっても、これらを命の次に大切なものとして慈しみ保管していたのです。残念ながら、祖母が亡くなった時、これらの帯を受け継ぎ、身につけていってくれるような娘や女孫がいなかった関係上、私はこの衝立を作り、これを通して多くのアメリカ人に、日本人の心や、すばらしき伝統美について知ってもらいたいと考えたのです。」と。
 もちろん、こういった彼の行為に賛否両論はあるだろう。しかし私は、古き良き日本美いや芸術である帯が、一人の女性と共に海を渡り、たとえその原形は変化したとしても、彼女の帯を慈しむ想いは、形を変えることなく生き続け、見る者の心に伝わり続けるであろうことを思った時、私は、一日本人として改めてそれを誇りに感じることが出来た。 




 佳作


山口真紀さん(34歳)
住所 長崎県
職業 無職
  厄入りを迎えた歳のことです。義母から、何か好きなものをと厚志をいただきました。少しばかり悩んだ後、帯代に当てることにしました。厄除けを願っての心遣い、長いものが良いと知れば、他は考えられませんでした。  幼子を連れての帯選びは気が引けましたが、幸い、長女の七五三の草履が必要となり、呉服店を訪ねる機会を持つことができました。
 お店では、快く帯を見せて下さいました。金銀晴れやかなもの、ちょっとばかり粋なおしゃれ帯、着る機会は減っても好きな着物の世界に目移りするばかり。おおよそ、相手に合った色柄や価格帯の帯を選んで見せてくださっているとは思うのですが、目にとまるものはやや予算オーバー。その旨も、さらりと伝えることができたお店の心地よさに、二本の帯の中から、いずれかを選ぶことにしました。
 さて、どちらにしようと悩んでいますと、「留め袖には、金糸が晴れやかなこの一本でしょう。あまり着る機会がなければ、こちらがお勧めかも知れません」
と、やんわりとしたアドバイス。その時ふと義母に贈ったカーディガンが思い浮かびました。春生まれの彼女は、桜のように明るく朗らかで、ピンクが良く似合います。本人も好きな色のようで、後で気付いたのですが、同じような上着を良く羽織っていました。そこで、一度くらいは機会もあるだろうと、勧められたものとは逆の桜色の帯を選びました。
 思いもかけずこの帯が活躍する機会をいただいたのは、それから間もなくのことです。義母の手伝いで、着物を着ることになったのです。弥生三月、桃の節句に合わせたような淡いピンク色の帯は好評でした。帯に守られ慣れない接客をこなし、家路についた頃にはもうくたくた。それでも痛めがちな腰に悩まされることなく、無事役目を終え帯をとくと、何やらずしりと重きものが・・。厄除けの宝物は、本当に体を守ってくれていたのですね。 




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